ちょっと冒険!ゲイの街、新宿2丁目を覗いてみよう

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新宿2丁目はゲイタウン

新宿2丁目は、日本最大、世界有数のゲイタウンです。

同性愛者向けのバーやショー・パブが、軒を連ねています。その数は、2013年時点で、約400軒余と言われます。

新宿の繁華街というと、歌舞伎町、ゴールデン街、区役所通りが知られますが、2丁目はネオン瞬く靖国通りから東の新宿御苑に向かっていった、約230mの道、仲通り沿いをそう呼びます。ゲイ・バーだけではなくゲイグッズを扱うショップや、同性同士で入れるホテルなどが集まっています。歌舞伎町のような喧騒とは一線を画した静かな一角です。

ゲイの多くは、日常はカミング・アウト(ゲイだという事を世間に知らせる事)しておらず、異性愛者(専門用語でヘテロ、通称ノンケ)を装って生活しています。

そんなゲイにとって2丁目は心を許し、本来の自分に戻れる数少ない場所なのです。様々なタイプのゲイが東京はもちろん、全国から集まってくるのです。

新宿2丁目は数の上では、主流はゲイです。マスコミで取り上げられる女装やニュー・ハーフ系のお店は少なく、女装者コミュニティーは2丁目とは別に存在すると言われます。

なお、厳密に言うと、ゲイ・バーとは、ニュー・ハーフや女装家など女装をした男性・元男性が、一般の同性愛者に接客する女装バーと、女装をしない男性同性愛者(ゲイやホモ)同士が集まるバーと、2種類あります。2丁目にあるのはほとんどがゲイ・バーで、女装バーは少ないといわれています。

そして、ゲイ・バーはゲイでなくても気軽に入れる、楽しい社交場なのです。

華麗なるゲイの世界

ゲイの人が一般の人に比べ、美意識が高く、才能が豊かだと言われるのは周知の事実です。故人ですが、アンディー・ウォホールや、ロックバンド、クィーンのフレディ・マーキュリーなど一時代を築き上げた芸術家がゲイであることをカミング・アウトしていたのは有名な話です。

また、ゲイの人は、話が面白いのです。売れないお笑い芸人などより、よっぽど笑わせてくれます。

衣装や化粧を盛りに盛る、いわゆるドラッグ・クィーン文化も、ゲイの中から生まれました。

新宿2丁目にゲイの人が集うのも、同じ美意識や感性、知性を共有する相手が欲しい、という現れなのでしょう。

一昔前までは偏見の持たれていた同性愛の世界ですが、芸能界でオネエ・タレントが活躍するようになって、世間のイメージはがらりと変わりました。

三輪明宏さん、ピーター、おすぎとピーコ、美川憲一さんをはじめとして、今では、假屋崎省吾さん、IKKOさん、KABAちゃん、マツコ・デラックスさん、ミツコ・マングローブさん、楽しんごさんなど、数えきれないほどのオネエ・タレントが、その本業の才能と、トーク番組などでの歯に衣着せぬ鋭い発言で活躍しています。

その強さ、鋭さは、オカマに対する偏見を跳ね返してきたところからきているのかもしれません。

彼らの好むインテリヤやファッションは、とにかく派手です。ドラッグ・クィーンを生んだその派手な美意識に、一般の人は憬れます。

新宿2丁目と、日本のゲイの歴史

日本におけるゲイの歴史は古く、奈良・平安時代には寺院における僧と稚児(寺院の小間使い)の男色がすでにありました。江戸時代には武士同士の男色が衆道と呼ばれ盛んだったそうです。また、今でいう、ゲイ・ショーのような若衆歌舞伎や、男色を売る「陰間茶屋」も盛んだったそうです。時代は違っても、人のやる事にあまり違いはないのですね。

戦後初のゲイ・バーは、昭和20年、新橋・烏森神社参道にオープンした「やなぎ」という店だと言われています。ここには、江戸川乱歩、三島由紀夫、アラン・ドロン、ピエール・カルダン、イブ・サンローランなど、多くの著名人が訪れたといいます。

新宿2丁目で最初のゲイ・バーは、昭和26年開店の「イプセン」です。次いで近辺にぽつぽつとゲイ・バーができ始めました。

この頃のゲイ・バーは今と違い、女装バーが多かったようです。

昭和33年、売春防止法が施行されると、それまで色町だった新宿2丁目周辺がどっと空き家になりました。そこに、周辺のゲイ・バーだけでなく、新しいゲイ・バーが雨後の竹の子のように移ってきました。

このようにして新宿2丁目がゲイの街として産声を上げたのが、1960年半ば以降のことです。ちなみにこの一帯は、当時、緑園街と呼ばれ、現在も御苑通りを東に入ったところに、「緑園街」入口の看板が残っています。

しかし、数10年間は、同性愛、ゲイは、淫靡で反社会的なもの、アンダーグラウンドなものとして、偏見を持たれていました。

ところがバブル期以降、ゲイ・カルチャーは一気に日の目を見ることになります。1988年、フジテレビ系列のバラエティー番組、「笑っていいとも」で「Mr.レディー&Mr.タキモン」が始まると、メディアでゲイ・ブームが生まれたのです。比留間久夫の、新宿2丁目を舞台にした小説「YES・YES・YES」が文芸賞を受賞し、いろいろな雑誌でゲイ特集が組まれました。映画でも、ゲイをモチーフにした映画が。何本も作られました。

それらは、今の、オネエ・ブームの基礎になっています。

女の子だって、2丁目で遊んじゃおう

一時、「オコゲ」がブームになったことがあります。

「オカマの周りにくっついてる」=「オコゲ」。つまり、ゲイの男性に憬れてくっついて離れない女子の事です。

ゲイの男の人たちは、話が面白く、また、自分も心は女性ですから、女性の気持ちがよく分かるので、優しいのです。サービス精神も旺盛で、一緒にいると飽きません。場持ちやトークがうまいのです。

何より、身の危険がありません。絶対に手出ししてこないのです。

そもそも新宿の歌舞伎町などは、アジア系暴力団がバックにいる、闇社会なのです。普通に飲んだりクラブに行ったりはできますが、店によってはぼったくりバーなど危険な店もあります。その点、2丁目は、元々、ゲイとはいえ男性で構成されているので、暴力団の介入が少ないのです。

そして、同性愛男性の歓楽街ですから、女性にしてみれば、安心して遊べてしまう場所なのです。ホスト・クラブのような、法外な料金も取られません。

2丁目のゲイ・バーは、いくつか種類があります。ゲイの人しか入れないバー、普通の女性も入れるバー、普通の人大歓迎な観光バー、女性しか入れないレズビアン・バー、女装のゲイが集うバー、それらの要素がミックスされたバー、etc.

料金体系は、チャージを含んだセット料金になっている所が多く、ゲイ・バーで大体、カクテルなど1杯1500円~(2杯目以降は、+700円程度)、観光バーで2000円~、といったところでしょうか。歌舞伎町の、いくら取られるかわからない飲食店より、ずっと明朗会計で、しかも安いのです。

ママやミセコさん(スタッフの男の子、ほとんどはゲイ)がカラオケの相手をしたり、盛り上げてくれます。2丁目のバーはたいていが10人も入ればいっぱいになる広さ(狭さ?)です。

しかし、ゲイを特殊な人として下世話な興味を持ち、失礼な事を聞いたりするのは、NGです。あくまでゲイのバーなのですから、混んできたらすぐ帰るなどの気遣いも必要です。人としてのマナーは忘れずに。

新宿2丁目のこれから

雑誌、ゲイ・イエロー・ページ「Gclick」の2013年1月版の精密な調査によると、現在、新宿2丁目におけるゲイ・バーの数は、274店、売り専バー17店、出張・売り専28店、マッサージ(整体院含む)43店、発展場15店、ゲイ系店舗トータルで402店となっています。その他、非店舗系のゲイ企業とレズビアン・バーがあります。

余談ですが、西新宿はゲイ系店舗が18店、歌舞伎町14店、北新宿・大久保13店、新宿南口9店立地しています。

ゲイ・バーのうちの多くは、入口に、会員制などのプレートを貼り、異性愛女性の入店を拒んでいますが、普通の男女客も入れる観光ゲイ・バーもたくさんあります。

ここ数年で、新宿2丁目は、ゲイタウンとしての存在感が薄れてきた、とみる向きもあります。2丁目が最も華やいでいた1990年代と比べると、確かに大通りの賑わいは寂しくなり、道行く人の人数は減っています。そして、普通の飲み屋さんや女性客が増え、2丁目らしさがなくなってきているのです。

ゲイ・バーに限らずどの飲食店もそうですが、まず長引く不況と少子化が原因しているのは明らかです。

さらに、2008年に、地下鉄副都心線の新宿3丁目駅がオープンし、2013年3月、地下鉄副都心線と東急東横線が直通したので、新宿3丁目駅の利用者は増えるばかりです。2丁目界隈が商業地として注目を浴びるようになりました。結果、地価は上昇し、ゲイ・バーの入るテナントも賃料が上がっています。オフィス・ビルや一般の人向けの店舗が激増し、ゲイの客の減少で、閉店に追い込まれるバーも出てきています。一般客が増える事は、今まで2丁目しか出会いの場がなかったゲイたちにとって、居場所を奪われる事です。

ゲイタウン、新宿2丁目がますます変貌するのではないかと、危惧されるところです。

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