歴史が結ぶ東海道五十三次!平塚宿をゆく

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平塚の地名由来の場所が残っている

第一回目は、東海道の旧平塚宿を歩きます。

東海道線に乗っていると、平塚から大磯に向かう車窓に、お椀を伏せたような山が見えます。ネットで調べてみると、高麗山というらしい。そこを通るたびに、頂上から眺めたら相模湾や富士山の絶景が眺められるのではないかと思っていました。行こうと思ってから30年。ようやく実現したのが師走も押し迫った昨年12月です。

ウォーキングのスタートはJR東海道線平塚駅北口。そこから登山口に近い古花水バス停までバスで移動です。駅前の喧騒を抜け、しばらくバスに揺られていると、車窓から「平塚の碑」という表示板が見えました。なんか、いわくがありそう。…と思ったらすぐ行動するのがいつものパターン。路線バスは、降車ボタンを押せばすぐ降りられるのがいいですね。次のバス停で降り、表示に従って「平塚の碑」を訪れてみたのです。

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碑は旧東海道平塚宿の一隅、お寺の隣の公園の中にポツンとありました。石造りの囲いに囲まれた高さ1mほどの塚。解説板を読むと、平塚の地名の由来になった塚らしい。確かに、「平らな塚」ですな。

塚が作られた由来は諸説あるそうですが、桓武天皇の孫、高見王の娘である平真砂子が都より東国へ下向の途上、この地で亡くなったとのこと。土地の人たちは、里はずれのこの場所に塚を築いて葬ったそうですね。

今や人口20万を大きく超える大都市の地名の由来がこの小さな塚だと思うと驚きです。

 

広重の『東海道五十三次』に描かれた景観

「平塚の碑」から旧東海道へ戻って歩き出すと、平塚宿本陣、脇本陣、高札場跡などの表示板が道のあちこちにありました。

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現在は、平塚駅から少し離れ、普通の通りになっていますが、江戸時代はここが平塚宿の中心だったらしい。旧東海道をずんずん歩き、金目川にかかる花水橋のたもとにやって来ると、高麗山が目の前に広がります。それほど高くはないけれど、存在感のある山ですね。

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橋の近くに、絶景ポイントを眺められるベンチがありました。その横の解説板には、歌川広重が「東海道五十三次之内 平塚縄手道」の浮世絵が描かれています。山の形は若干デフォルメされていますが、まさに目の前にある山ですよ、これは。時を超えて広重と同じ場所に立てるのはなんだかうれしい気分。近くで見ると、当代一流の芸術家の絵心を刺激する不思議なフォルムが実感できました。

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渡来人に由来する高来神社

さて、眺めているだけで満足するわけには行きません。まずは高麗山の登山口に近い高来神社を参拝。

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この神社を参拝して、なぜこの山が高麗山と呼ばれるのかわかりました。ちなみに高麗山は、「こまやま」と呼びます。高麗といえば、埼玉県日高市にある高麗郷が有名ですね。奈良時代、高句麗の使者として来日した玄武若光が、高句麗の滅亡により帰国の機会を失って暮らしたと言われる場所。今でも高麗郷へ行くと、史跡や風俗が残っています。その若光が埼玉へ引っ越す前に暮らしていたのが、ここ平塚周辺らしい。

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高麗山にあった高麗寺は、その若光を祀ったお寺と言われ、現在の高来神社も高麗神社として寺内にあったそうです。高麗神社が高来神社と改名したのが明治時代。勝手な解釈ですが、高麗から来た人を祀ったから高来神社なのかなと考えました。神奈川から埼玉へ移住するときはさまざまなドラマもあったのでしょう。

旅の楽しさの一つは、その地域を訪れたときの記憶や知識が、まったく別な場所とつながるときかもしれません。旅を続けることによって、各地の点の知識がいろいろなエピソードとともに線となり、やがて面となる。日本中あるいは世界中の場所が、歴史という縦糸で結ばれているのがわかりますね。

 

 

 

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