高速バスで東京からわずか2時間 房総山中の城下町・大多喜を歩く

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海の上を走っているような気分になる高速バス

今回は、少し前に行った場所ですが千葉県の大多喜町。大多喜城がある町ということで、20年以上前から行きたかったのです。

しかし、房総半島の中央部にあり交通の便がイマイチなので、なかなか行く機会がありませんでした。最近、東京湾アクアラインを使えば浜松町駅からバスだけで行けることを発見したのですよ。早速、行かねばと、早起きして浜松町バスターミナルから高速バスへ乗り込みます。

平日だったので、中はすいていました。

首都高速から羽田、川崎と通りいよいよ東京湾アクアラインへ。どこまでも広がる海の中の一本道をバスは走り続けます。車窓からタンカーやフェリーが見える景色は、自分がバスではなく船に乗っているような気分。

海ほたるを通過し、木更津へ上陸。

市街地をかなり走ってから、房総の山の中へと分け入ります。大多喜町の中心部は盆地にあるのでバスは坂を下り、ようやく国道のショッピングセンター前のバス停に到着。東京の人間からすると、かなり遠いイメージなのですが、バスに乗っている時間は2時間ないのですね。

従って時間はまだ午前9時前。じっくり町を見学できるぞ、とウォーキング魂が漲ります。町をぐるりと取り囲む夷隅川には赤く古い鉄橋がかかっています。

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そこを渡っていよいよ房総山中の城下町・大多喜へ。

城内に現存する日本一の大井戸がある

まずは駅へ行って観光パンフレットをゲッツ。とりあえず、今回の旅の最大の目的地・大多喜城を目指すことにします。

しかし突然、空には私の城攻めに抗うかのような雨雲が…。うわっと思う間もなく、大粒の雨が降り出し、一瞬で辺りは滝壺のような状態に。

急いで近くにあった神社の本殿の軒先へ逃げ込んだものの、びしょ濡れになってしまいました。折りたたみ傘を出す暇もないほどの急襲。

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でも、旅のアクシデントもあとで考えると良い思い出になるとポジティブに考えました。しばらく待っていたら止んだので、再び城跡目指して進軍します。

曲がりくねった坂道を登ると、大多喜高校。

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ここの校庭に、江戸時代中期に作られたという城内御殿の薬医門が移築されていました。

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しばらく校内を歩くと、巨大な井戸が目の前に現れます。周囲10m、深さ20mの城内に現存する井戸としては日本一の大きさらしい。

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高校の校内に城門や井戸があるなんてすごいと思ったら、もともとここは大多喜城の二の丸だった場所ですね。城跡にある高校なんて、城好きからしたら最高の贅沢ですよ。

それが気持ちに余裕を与えるのか、出会う高校生は皆、「こんにちは」と、明るい笑顔で挨拶してくれたのでした。

断崖絶壁の上に建つ白亜の天守閣

高校は城内にあるので裏手の道を登ると本丸まで行けそう。

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しかし、城見学では楽な道を選んでも面白くありませぬ。一旦、二の丸を出て、城攻めルートで本丸まで攻め上ろうと考えました。そこで、広々とした夷隅川沿いの舗装道路を西に向かって歩きます。

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左手の夷隅川を覗き込むと、まさに断崖絶壁。

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しかも右手、つまり城があるほうもはるかに見上げる断崖絶壁になっておりまする。

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これは、スパイダーマンでもない限り登れないかも。城の南側は、深い渓谷と見上げるような高い崖で守られてまさに鉄壁の守備体制ですな。これだけ南側が厳重なのは、当時の仮想敵国・安房の里見氏に備えたからでしょうか。

夷隅川沿いの舗装道路を歩き、左手の崖が途切れたあたりから回りこんで本丸目指して登ることにします。道は細くなり、しかもかなり急。右手は高い崖になっていて、戦時はそこから矢が雨のように飛んでくるのでしょうね。

ようやく本丸へたどりつくと、白亜の天守閣がそびえていました。

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本丸からは、さきほど訪れた大多喜高校。

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少し降りると、日本一という大井戸を眺めることができます。

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天守閣は、江戸時代のものではありませぬ。じつは当時、天守があったかどうかということも定かではないらしい。

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それでも、江戸時代にあったという天守の図面が存在するそうで、それを元に建てられたというから、まったくの飾りというわけではないのですね。その図面を発見したのが、なんでも鑑定団の鑑定士として有名な故・渡邉包夫氏だったそうですよ。ちなみに、渡邉氏は大多喜町の旧家の出身らしいです。

それでも、関東には珍しい天守が目の前にあるのでバシバシ写真を撮ってしまうのは城好きの悲しい性なのでした。

大多喜城は、徳川四天王の一人、本多忠勝が天正18年に築城したとされています。これだけの立地ですから、その前にも砦的なものがあったらしいですが…。

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当時の本多忠勝の石高は10万石。これはすごいですよ。

江戸時代でも10万石の大名はそれなりの格式で迎えられました。大多喜の町も当時は、今では考えられないくらい関東有数の都市だったと感じます。当時はまだ豊臣時代。安房の里見氏に備えるため名将を配置し、名城を作ったのでしょう。天守閣は、千葉県中央博物館大多喜城分館とも呼ばれているそうな。

行った日は、「房総の城と城下町」をテーマに刀や鎧、衣裳などの歴史資料が展示されていました。もっとも興味深かったのは、大多喜城の当時の復元模型。時間も忘れるくらい食い入るように現在との違いを探してしまいました。

大多喜城の裏手に薬草園があるという看板があるので行ってみることにします。

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薬草園は、江戸時代にお殿様が作ることが多かったので、これも大多喜藩時代からあったものではないかと思ったのですよ。しかしルーツは意外と新しく、千葉県が昭和62年に設立した植物園が発端なのだとか。

現在は、城西国際大学薬学部が管理運営を行なっているらしい。誰でも見学できるそうなので入ったのですが、植物そっちのけで城の遺構ばかり探してしまいました。

それでも、温室の中の珍しい植物や水辺のかわいらしい花に癒されましたね。

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